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一般に、「国語力」といえば、真っ先に思い浮かぶのは、読書から連想される「読むチカラ」でしょうか、それとも、漢字や作文といった「書くチカラ」でしょうか。少し観点を変え、「語彙力」という意見も出てきそうです。いずれにせよ、私たち日本で暮らす人々にとって、国語とは「母語」である日本語です。生まれてから現在まで、それこそ無数の日本語に出会ってきたことになります。国語力とは、それらの日本語を上手に使いこなす総合力と言えます。

さて、言語能力の4つの技能とは、「読む・書く・話す・聞く」ですが、昨今、とりわけ大学入試において、「英語」の4技能が重視され、英検取得も声高に叫ばれています。たしかに将来に向けて「英語力」を高めておくことは武器になりますが、かといって、「日本語」を軽んじていいはずがありませんし、「普段の生活で使っているから」という理由で日本語をマスターしたことにはなりません。少し話は逸れますが、日常会話で使う日本語は、一般的な大人で一日あたり800語前後しかないそうです。小・中学生が使う辞書には約5万語収録されてますから、2%未満の言葉しか使っていないことになります。たくさんの言葉に触れることがいかに大切か、ご理解いただけるでしょう。加えて、文法には論理が存在しますし、日本語にはニュアンスや微妙な違いを伝えるための言葉、例えばオノマトペや敬語も豊富です。

言葉を増やす意識として大切なのは、前述の4技能のうち、(特に子どもの学びにおいては)「聞くチカラ」なのではないか・・、近頃、より一層感じるようになりました。聞くことは受け身的であるが故に、どうしても当人の意識に左右されますし、そのインプット量には大きな差があるでしょう。この「耳から聞いた言葉をイメージするチカラ」が学習の素地を形成していきますので、国語を学ぶことは全ての教科に相通ずるものがあり、逆に言えば、どの教科を学んでいても国語力に繋がっていきます。国語は母語です。国語の読解問題を解くことで、読んだり解いたりすることに慣れ、そこそこ点数はアップしますが、「本質的な国語力」という意味ではそれだけでは解決しない、そう思っています。

# by chikushin-column | 2024-02-18 18:52

人は生まれもって能力に大差があるわけではなく、環境や体験、つまり、後天的に身につけた行動習慣や費やしてきた時間の蓄積によって今の姿があります。スポーツや音楽、芸能等だとわかりやすいですが、多少はセンスが関係するにせよ、それ以上に絶対不可欠なものは、「時間」と「熱量」です。初めから上手な人なんていませんし、どんな世界でも上には上がいますので挫折を味わったことのない人もいないでしょう。もちろんこのことは「学習」も例外ではありません。

学習にかけてきた時間と熱量というのは、案外、自分以外の他者からは(それが親であっても)わからないものです。なぜなら、学習時間というのは、机に向かっている時間、とは限らないからです。「勉強している」=「集中してアタマ(脳)を使っている状態」と言い換えるとイメージしやすいと思いますが、机に向かっていても勉強しているかどうかは当の本人にしかわかりませんし、そもそも机に向かわなくとも考えたり調べたりはできますよね。いつでもどこでもアタマは使えるのです。本来、人間の脳は、時間という人為的な区切りで、気になっていることを断ち切ったり、全く別のことに瞬時に切り替えたりなどという器用さを持ち合わせているとは思えないのですが、どうなのでしょうか。

少し話は逸れますが、たとえば、「思い出すこと」も忘れそうな知識を呼び戻すという意味で広義では学習と言えましょう。塾では「学習記録表」を書かせていますが、実はそういった狙いもあります。ご家庭では学校や塾で面白かったこと等、具体的な話を聞き出してみてください。特に小学生は語彙を獲得する最適期ですので、できるだけ対話の機会を増やしましょう。子どもの年齢に合わせすぎないのがポイントです。また、お店に行ったときなど、第三者に何かを伝える際、親が先走って子ども自身が言葉を発する機会を奪わないようにする等々、身の周りの小さなことから取り組んでみてください。

これらの視点から改めて捉えてみると、机に向かっている時間だけが勉強ではなく、普段の生活に溶け込むようにそれも無意識に学習につながる時間を過ごしている人は、「時間の総量が圧倒的に多い」と言えるでしょう。その源泉が「熱量」であり、それを高めてくれる存在が、応援してくれる人であり、ライバルであり、さらには自分の中に秘めたプライドや将来の目標ということになります。それを見つけるお手伝いをするのも塾の役割であることを心に留めて、私たちも指導にあたってまいります。




# by chikushin-column | 2023-11-15 13:57

多少大げさな表現にはなりますが、どんなチームにも「文化」があります。文化という言葉は、やや輪郭が曖昧な言葉ではありますが、例えば学校でいえば、「校風」や「伝統」、そういった「らしさ」ということになるでしょうか。何を優先するのか、何を大切に考えてきたのか、その蓄積が文化と言ってもいいでしょう。

さて、従来のカタチや慣習に何かしら手を加え、変えていこうとするときは、一定の約束事なり、新たな価値観なりを全体で共有しなければなりません。ただ、それが「小さな文化」として根付くにはそれ相応の時間と体験を要しますので、一朝一夕とはいきません。特に初期段階では意識して積み重ねる必要があります。

個人の価値観が多様化する昨今、お互いの違いを認め、他者を否定しないことが大切なのは言うまでもありませんが、かといって、私たち人間は「社会的存在」ですから、その集団のありかたや関係する他者に対して無関心ではいられません。大小様々な集団に属し、重なりあって暮らしていますので、そこには不文律のような慣習も含め、小さな約束事が無数に存在しています。人は相互のやりとりを通して、それらを学び、身につけていきます。それぞれのご家庭に文化があり、学校にも、部活にも、クラスにも小さな文化があることでしょう。それは前述のとおり、小さな約束事によって下支えされ、状況に応じて修正されながら定着してきた姿です。もちろん、これは「塾」も同じです。

この冬、当塾は二十三回目の受験シーズンを迎えますが、創業当時と比べると、学校教育や入試制度等のシステム、ハード面、すなわち、「しくみ」が随分変わりました。国の掲げる教育改革の旗のもと、半ば強引に外側から「子どもに求められる能力」や世の中全体の価値観の修正を求められてきた・・、冷静に考えればそんな気がしないでもありません。塾としては、現実的な立場から、その外的な変化にもフィットすべく取り組んでいますが、しかし同時に、もっと根幹部分、「中にある見えないもの」が伴って育たなければ勉強の価値が半減してしまう・・、そういった思いもあります。これは創業時から変わらない理念であり、当塾の「小さな文化」です。勉強によって得た教科知識や学歴も大切ですが、それよりも、高みを目指し、集った仲間とともに、自分と向き合った実体験こそが後の人生で必ず活きてくると信じているからです。そういう空気感が隅々にまで浸透したチームをめざし、一人ひとりに寄り添いながら、日々、私たち自身も挑戦してまいります。



# by chikushin-column | 2023-10-13 18:38

親の立場としては、どうしてもこの言葉を使ってしまうときがあるでしょう。ただ、本来なら、宿題といえども勉強なのですから、「終わらせること」をゴールとするようなお声かけは、子どもがカタチだけ取り繕ったり、怒られないように隠したりといった具合に、かえって良くない方向に向かうことも考えられます。

もちろん、宿題には、「約束事や期日を守る、苦手なことも対処する」といった訓練的な意味合いが含まれていますが、「自学で理解度を確認する」という学習本来の意味から言えば、ただただノートを埋めるだけの単純作業だったり、空欄ばかりで〇✕もつけず放置していたりといった状況では、正直、勉強とは言い難いでしょう。怒られるのが嫌だとか、ペナルティがあるからとか、そういった次元で宿題をするのは時間がもったいない、そういう気持ち、いわゆるタイパ(時間対効果)の意識が出てくれば、宿題だけでも十分に成績は伸びていきます。また、たとえば、「宿題が終わったら、ゲームしていいよ」等の交換条件を示すようなお声かけも気をつけてください。宿題が自分の自由を奪い、悪者として脳内に位置づけられ、勉強嫌いを助長することになりかねません。自分のための勉強ではなく、まるで親のための勉強・・、それも長時間・・、こういうのは長続きしないどころか、子どもの成長に必要な自己肯定感を阻害し、親子間のストレスになってしまいます。

塾の宿題(あるいは週テスト範囲の勉強等)は、適正な時間を使えば、期日までにクリアできるボリュームにセーブしています。学校の宿題の量も考慮していますので、実際それほど多くは出していませんが、家庭学習のペースメーカーとして(できれば週末までに)取り組むよう、塾生にはお伝えしています。授業の最初に毎回宿題チェックをしますが、取り組みの個人差がかなり大きく、意識の違いが一目瞭然です。この秋は、家庭学習の「量」と「質」の改善を促し、より一層、いろんな方法で個々にアプローチしていきます。


# by chikushin-column | 2023-09-12 18:56

夏期講習、順調に進行中です。今日は合宿直前の日曜、8月6日なのですが、日程的には折り返し地点を過ぎ、後半戦に突入しました。

さて、この夏、授業前後の空き教室を見渡してみますと、受験学年に限らず、中2・中1、小学生の中にも「変化の兆し」が見て取れる、そういった前向きな姿が目に留まることが増えました。これまで居残り勉強したり、質問に来たりといった主体的行動を一切しなかったお子様が、今の自分を変えよう、良くしていこうとする「行動」を取り始めたのです。話を聞いてみますと、そのうち半数程度はご家庭でのお声掛けがあったようですが、いずれにせよ、一過性の行動ではなく、それがさも当然のように続いているということは、おそらく自分自身の中の何かが変わってきているのだと思います。

「言うは易し、行うは難し」といいますが、彼ら彼女らは口先ばかりではなく、自分の気持ちを行動で示している、私にはそんなふうに映ります。愚痴はこぼしますが、言い訳はしません。すぐには結果につながらないかもしれませんが、傍にいると、良い質問を持ってくるようになりましたし、当の本人がわかる楽しさに目覚め始めた様子です。そして何より、表情が明るくなりました。こういう姿を間近で見られることは、私たちも本当に嬉しい。この先きっと伸びていくでしょう。

このように、日々の現場では、小さな変化や兆しがあちこちで起こっていて、それが人と人との化学反応や環境、仕掛けや仕組みによって、さらなる相乗効果を生み、連鎖していく、ある意味、それが私たちの目指す塾のありようです。(そして、その象徴といいますか、凝縮された結晶が3日後に控えた「受験生合宿」といっても過言ではありません)

「塾」という場は、私たち講師(大人)が塾生(子ども)に教科知識や受験対策を有料で教える場であるという第一定義は全くもって正しいのですが、それだけではなく、いえ、もしかすると今の時代それ以上に、目標を同じくする子どもたちが学校の垣根を越えて出会い、お互いに高め合う場であり、ご家庭と学校以外の「第3の居場所」という副次的な役割も持ち合わせていると言えましょう。

このお手紙が届く頃には、そろそろ夏休みの終わりが近づいていますね。少しは涼しくなってるといいのですが。皆様、どうぞご自愛ください。


行動の変化 #242号(2023年8月)_d0347964_23441588.jpg

(追記)受験生合宿無事終了しました


# by chikushin-column | 2023-08-18 23:46