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世の中、わかりやすいことが善くて、わかりにくいことが悪だ、といった風潮がますます加速しているように思います。今回のコラムはこのことに関連しつつ、特に子どもたちの勉強について書いてみます。保護者様もご一緒にお考えいただけると幸いです。

さて、「わかりやすい」というのは「自分にとって負荷がない、引っかからない、抵抗なく取り込める」ということでしょう。多少穿った見方をすれば、「他者によって自分がわかったような気にさせられている状態」であるとも言えます。実は「わかりやすさ」には、難しい部分を削ったり、途中の説明をあえて省いたり、暗記で押し通したりといった具合に、言うなれば作為的に「わかりやすさ」を演出しているケースがあります。もちろんそういった手法が必要なときもありますが、ややもすればそれが過剰、さらに言えば過干渉となり、自主性の阻害要因に・・・というリスクを内包しています。つまり、受け身のわかりやすさに依存し、それが身に沁みついてしまうと、無意識に「わかりにくさ」を遠ざけ、自分にとって楽で手軽な現状、安全圏から出なくなっていきます。それでは真の自力は育ちませんし、ノビシロも生まれません。本来、勉強とは「脳を鍛えている」わけですから、難しいことやわかりにくいものを解決する過程で鍛えられていくはずです。筋トレと同じですね、適度な負荷が必要です。

一見、難しそうな問題でも、複数の基本の組み合わせで出来ています。それを丁寧に解きほぐしたり、突破口を見つけたり、それをそれこそ「わかりやすく伝えること」が私たちの仕事なのは重々承知していますが、しかしながら私は一方で、塾生の子どもたちに「わかる」ばかりを体験してもらいたいとは考えていません。むしろ、しっかりと「わからない」や「できない」を体験してほしいし、「?」というモヤモヤを呼び起こしたい、そう思って授業展開や発問を考えています。自分のチカラを総動員して考えた末の「わからない」は、「わかる」よりも何倍も価値があり、尊いことなのではないか、そう思います。


# by chikushin-column | 2020-09-16 22:41

今回は、前月のアイレター(お返事)を頂戴した中から、ご相談の多かった内容についてお話したいと思います。

勉強に限らず、ある物事に対して気持ちが前向きに働くかどうかを「やる気」と表現しますが、このモチベーションといった「プラスの感情」をいかに持ち続けるか・・・、物事の成否のカギとして、やはりこの心のベクトルは大切です。しかし、いつも感情や気分に左右され、それを口実にいちいち振り回されているようでは、やる気も一過性のものとなり、長続きしません。気分に依存するのは危ういし、やる気のある状態を自分本来のチカラだと思うのは自信過剰であり、不遜な態度でしょう。やはり、時間をかけて積み上げてきたことこそ、(良い意味でも悪い意味でも)習慣となり、いざというとき、それがよりどころになるわけです。癖や習慣を変えるためには、過去の自分を否定するほどの覚悟が必要ですから、そう容易いものではありません。やる気や覚悟に期待して待つのではなく、習慣へと昇華すること、意識が高まる場に身を置くのが現実的かつ得策です。

また、「テスト(点数)のために勉強する」といった考えかたも、「終わり」を設定することで鼓舞している側面があり、終わった途端、気持ちが萎えてしまう一因です。それに、テストに向けて勉強するのはいいのですが、「テストのため」という意識が強すぎると、勉強にまで損得勘定を持ち込んで「点数を稼ぐ」方向に走りがちです。点数で全てを清算するような刹那的な感覚といいましょうか、それではもったいないですし、思考にも幅や深みが生まれません。音楽は演奏会のためにあるわけではないし、スポーツは大会のためにあるわけでもない。本来、音楽なら音色そのものを、スポーツならその競技自体を、評価や勝敗を越えて、自分が楽しむことこそゴール(目標)のはずです。

ならば、勉強も同じではないでしょうか。学習内容そのものから得られる面白さに気付き、そして、変わっていく自分の過程を楽しめるかどうか。それがやる気の源泉であり、正体かもしれません。


やる気の正体 #206号(2020年8月)_d0347964_13492101.jpg















# by chikushin-column | 2020-08-20 13:43


今春、小学校の教科書が改訂されました。そして、来年が中学校です。文科省通達のもと、先日まで筑紫野市役所の学校教育課にて、新教科書展示会(閲覧)が開かれておりましたので、各社の教科書を実際に手にとって見てきました。

衝撃でした。質・量ともにかなりボリュームアップしています。これを中学生に定着させていくのは、かなりハードルが高いと感じました。特に新中1の英語は、クラウンなのか、サンシャインなのか、ホライズンなのか、どの教科書が採択されるかによって多少違うものの、中学入学早々に、be動詞と一般動詞が混ざって出てきますし、単語やイディオムも相当難しい。小学校での英語必修化を受け、初歩的な英文法等を理解できている前提で作られているのでしょうが、私たちが中学生だった頃の教科書とは全く別物です。

他の教科も方向性は同じです。小学校高学年の新教科書は、明らかに「小・中の接続」を意識しており、中学内容が広く浅く前倒しされている印象です。また、その流れから、小学校でも一学年早く扱う単元も出てきており、例えば、従来、小5内容だった算数の「割合」は小4で初登場しますし、高校入試頻出の「データ(資料)活用」も小学校に下りてきています。つまり、小学校で躓くと、どうしても中学で出遅れてしまう、そういう状況が懸念され、さらに学力の二極化が進むことになります。逆にいえば、小学校での学習において、各科バランスよく基礎・基本を修得していれば、中学以降も成績は安定するでしょう。小・中・高の12年間、学校制度としては「6・3・3」に分かれていますが、学習内容面、そして大学進学という視点に立てば、「4・4・4」に区分する感覚でちょうどいいのではないかと思います。保護者様も是非お子様の教科書をご覧ください。



# by chikushin-column | 2020-07-14 22:47


2ヶ月以上「休校」という非常事態、このぽっかり空いた時間をどう使えばいいのか・・・、実際のところ、子どもたちも戸惑いを感じているようです。課題とセットで提出してもらっている「質問カード(添削用紙)」にも、教科内容だけでなく、そういった悩みごとや漠然とした不安を書いていた中学生もおられました。

これまでの日常がなくなり、テストがなくなり、部活もなくなった。友達に会ったり、笑ったり、競ったりもできない。日々の生活にメリハリがなく、どこか物足りない。外出自粛・学校休校によるこの閉塞感は、そろそろ子どもたちのストレス要因になりつつあるかもしれません。

さて、こういった状況の中で、子どもが独力で自学を続けること、また、自己管理で学力向上を図ることは、極めてハードルが高いと言わざるを得ないでしょう。人間は周囲との関係によって、自分のありかたを決めていく特性がありますから、外との関係が断たれたとき、自分をコントロールするのが難しくなります。本来は、と言いますか、理想としては、「教科内容そのもの」に興味を持つのが正しいのでしょうが、特に子どもの場合、その前にまず「感情」がプラスにもマイナスにも大きく影響を及ぼします。やはり、取っ掛かりや刺激となるスイッチは間違いなく「人」です。人との間に生まれる感情が「変化の起点」になっていくケースが多い。その「人」とは・・・、先生かもしれないし、学校の友達や塾のライバル、憧れの先輩かもしれませんが、自分を見失わないためにも、人との接点を保つため、外と繋がるチャンネルを持っておくことが精神衛生上必要な時代かもしれません。Zoom授業にはそういう狙いもあります。教科指導だけでなく、モチベーション維持機能としても一役買ってくれると思います。






# by chikushin-column | 2020-05-01 17:17

お子様が大人(親)に、勉強の「意味」や「目的」を尋ねてくるときは、学習意欲が低下しているか、手ごたえをつかめずにいるか、大抵の場合、そのどちらかでしょう。そして、これは質問のように聞こえますが、実際のところは、子どもにとっては「相談」に乗ってほしいというサインであることが多いです。はっきりとした答えを大人に求めているわけではなく、ぼんやりと頭の中を行き来する自分なりの疑問や現状の不安、愚痴を吐き出したい、未来へのメリット・デメリットを確認したい、そういう気持ちから出てくる言葉です。

私たち大人(親)は、答えに窮するような、このような子どもの問いかけに対し、即答しようとしすぎるあまり、ややもすれば、乱暴に返事をしがちです。あまりにもたくさんのことが思い浮かび、一つにしぼりにくいのもありましょう。しかし、こういうときこそ、少し時間をおいてでも、親として我が子にご自身の考えや経験を伝えてあげることが大切なのではないかと思います。卒業・進学(進級)という節目のシーズンを迎えますが、一度じっくり話してみられる機会をもたれるといいかもしれませんね。家族の絆も深まると思います。

学力を身につけることは、「生きる楽しさ」を醸成していくことだと私は思っています。例えば、知識や体験を結びつけて結果を予想したり、現状から要因や背景を探ってみたり。こういった具体的事象から抽象(一般)化して置き換える能力は、学習活動の積み重ねによって習得していくものですし、分類したり、見やすくしたりといった活動も学習による知恵です。人の感情を理解するといった心の内面まで学習します。

幾つか例を挙げてみましたが、つまりは、勉強すれば人の話も面白くなるし、興味の幅も広がりますから、他人事ではなく、自分事として世の中を生きていきたくなります。そう、「自立」の芽生えです。ですから、話を最初に戻しますが、何のための勉強なのか・・と、その意味を考えても答えは見つからないかもしれませんね。

「勉強そのものを楽しいと思える人生は豊かで幸せだよ」かな。




# by chikushin-column | 2020-02-14 21:16


主要教科と副教科というような言い方をしがちですが、音楽・美術・体育・技術家庭の「実技4科目」は、将来、その人の「個性」に繋がっていく可能性を秘めた価値ある学習です。学校教育の中で、それらの基礎・基本を習い、また、その世界を感じられることは、ある意味、とても恵まれたことです。


たしかに、主要5科は入試科目ですし、知識のバランスを整え、社会で生きていくための常識レベルを共有する役割があります。うまく人と協調するため、将来働くため、思考や感情のベースを知っていることは必要でしょう。主要教科の学力は、自分の居場所や人付き合いの範囲を決めていく条件にもなりますし、実際、入試(受験)とは、学校選びとは、その「大枠」を決める第一歩‥、そう言ってもいいでしょう。我が国のように(ここ福岡はその傾向が顕著ですが)「学校」というくくり意識の強い場合、より一層、そういった側面が浮かび上がります。


さて、保護者の皆様は、学生時代、どの教科が好きでしたか。私は図工(美術)が一番好きでした。音楽も好きでしたが、なんとなく男子はそう言いづらい雰囲気だった気が‥。体育は得意でしたが、体格の良いセンスの塊みたいな子には勝てず、苦い記憶も多々。技術家庭も楽しみでしたね。DIYも得意だったし、裁縫や料理の時間なんてワクワクでした。でも、あの当時を振り返ってみると、正直言えば、実技まで先生に「客観評価」されるのは、なんとなく嫌だったというか、納得できない気持ちも内心ありました。テストの出来不出来ならともかく、自分の好き嫌いや生まれつきの素質、技能の得手不得手まで点数化され、信条みたいなものにまで踏み込まれるのはちょっと、いえ、結構ツラい‥。そんな実技4科目ですが、社会に出ると、その秀でた才能や能力が一躍クローズアップされ、それが生きがいとなり、プロと呼ばれる職業にまでなっていく人も出てくるわけです。芸術家、音楽家、スポーツ選手、職人、料理人‥、みんなそうですよね。そして、そのきっかけやルーツが学校の授業!という人も少なくないでしょう。そう考えると、実技科目の意義をもっと大きな視野で捉えられるかもしれません。また、その実技科目に潜んでいる主要教科の知識や関連性に気付いたとき、本当の学びの楽しさを感じられるのではないか、そんなふうにも思います。実は、今回初めてチャレンジした新授業「探究スイッチ」にも、そういう狙いがあるわけです。


以前、当塾主催の教育イベントで講演していただいた中島さち子先生(日本人女性初の数学オリンピック金メダリストでジャズピアニスト)が、「音楽は数学ですから」とおっしゃっていたのを思い出します。個々人のセルフプロデュース能力が求められる今の時代、主要教科の基礎学力に加えて、感性や個性といった点数化しにくい見えないチカラこそが高い付加価値を生み出すのではないか、そんな気がします。「期末テスト、実技科目もガンバレ!」





# by chikushin-column | 2019-11-20 14:41



時代の大きなうねりの中で、教育の世界においても、従来の価値観に加え、新しい要素が学力の定義に組み込まれるようになりました。➊知識・技能の習得➋(➊を基にした)思考力・判断力・表現力の養成 ➌主体性を持ち、多様な人々と協働して学ぶ態度、現在この3つが次世代に向けた学力観とされています。そして、近年のこういった国の施策と連動して、それを評価する「入試」においても、手段やあり方だけでなく、テスト問題の中身までもが非常に高度なものへと様変わりしていることを私たち親世代は知っておく必要があります。一問一答的に暗記で乗り切れるものが極端に減っており、そういった入試問題の変化を意識してか、近隣中学校の定期テスト問題も数年前と比べてグッと難しくなっている…そういった実情があります。保護者様も、一度、お子様の解いてきたテスト問題自体を見てあげてください。今の子どもたちは大変。小学校高学年あたりから学力の二極化が一気に進行している感があります。


昨今、大学入試における英語4技能評価の是非や、共通テストの記述採点問題といった混乱ぶりばかりがニュースに取り上げられていますが、これからの時代、大学入試を迎える高3段階になって慌ててその対策勉強をしても、正直かなり厳しい状況に立たされることは間違いありません。仕組み自体の問題として、後から取り返そうにも時間も手段もない、そういう時代になっていきます。先行した方が圧倒的に有利ですが、ただ、かといって、幼児期からの早期英才教育とはまた少し違う気もしますね。とにかく、思考・判断のベースとなる「基礎学力」を小学生のうちに整えておけば、あとは成長段階に応じて少し先を見て計画的に取り組むことによって、進路選択にも余裕が生まれてくるはずです。また、母語(日本語)を使いこなす能力、これがものすごく「効く」時代になります。そういう意味でも「国語4技能」がさらに大事になっていくでしょう。


# by chikushin-column | 2019-10-28 18:43


GW大型連休を終え、日常が戻ってきました。5月は小・中学校では体育祭、高校では文化祭と、大きな学校行事もあり、塾生たちの様子を見ていると少々お疲れモード。この時期、どうしても気持ちの浮き沈み(五月病?)が出ますので、私たちも一人ひとりの表情を見ながら話をするように、心がけています。ご家庭におかれましても、お子様の心身のコンディションにご配慮いただき、お声かけをお願いします。

さて、平成の世が終わり、ついに新時代の幕が上がりました。ご存知のとおり、「令・和」は、奈良時代、太宰府の地で大伴旅人が主催した「梅花の宴」で詠まれた歌の序文(初春月、気淑風…)に典拠するものであり、『万葉集』に収められています。

清らかでシャープなイメージの「令」、やわらかで繋がり合うイメージの「和」、この二文字を組み合わせて新元号を作り出したところに、日本人の知性や感性が垣間見える気がして、素敵な元号だなと私は思っています。

これから先、どんな時代になっていくのか… 未来は誰にもわかりませんが、ただ、現状から推察すれば,ますます経済格差が進み、ますます個人主義が進み、ますます混沌とした時代へと向かっていくことは間違いないでしょう。だからこそ、想定できることには備えなければならないし、想定範囲そのものを広げておく必要もあると言えます。また、コンピュータや人工知能の進化は、さらなるデジタル化、効率化を推し進め、人間の仕事だけでなく、人間本来の知恵や言葉、もしかすると感情さえもジワジワと浸食していくかもしれません。絶対解のない、不確かな時代を迎えた今、だからこそ、「確かな学力」の優位性、有用性が叫ばれています。




# by chikushin-column | 2019-05-15 13:20


個々、様々な感情が交錯し合う受験シーズン。受験生は、その時々の結果に一喜一憂しながらも、最終目標に向けて濃密な時間を過ごしています。

ここにきて「一人」で頑張れる塾生が増えてきました。教えてもらうことが勉強だと勘違いしていた女子が、まずは自分で勉強したうえで質問を持ってくるようになりましたし、秋口までは学校の友人と群れてばかりいた男子も、同じ志望校をめざす他中学の塾仲間と教え合う姿も見られるようになりました。受験勉強の過程において身につけるべき「他者依存からの脱却(自立心)」の芽生えは大きな変化であり、成長であり、この先、生涯の糧ともなりうる貴重な副産物です。自己の内面と向き合うことが、心をたくましく育て、自分軸を持つためには欠かせません。

受験生のご家族の皆様、今が一番ナーバスになる時期ですし、大変かと思いますが、この時期をくぐりぬけて、お子様はまた一つ人間的な魅力を身につけられます。我が子の笑顔は何ものにも代え難い家族のタカラモノですが、一方で、真剣な眼差しや葛藤を突き抜けた凛とした顔つきもお子様が成長している証です。私たちはもちろん合格をめざしますが、その合否結果だけでなく、過程から得られるココロの美しさや強さを大事に考えています。ひたむきな塾生の姿を見るたびに、我々のハートにも火がつくとでも言いましょうか、「なんとかしたい!」という熱量が大きくなり、その相乗効果から教室内が一つの色に染まり始めます。冬期講習は終わりましたが、あの時期がちょうどそのときでした。

このチームとしての一体感が、個々の自覚を促し、集団の規範や基準を作り、全体の「気」の底上げに一役買っています。ラストスパートです。塾での滞在時間が長くなるため、お弁当持参も多くなると思いますが、どうぞご協力の程、お願い致します。



# by chikushin-column | 2019-02-08 13:24
 「生きる力」という言葉が文科省で使われ始めたのは、もうかれこれ20年程前のことです。そして、21世紀を切り拓くため、「確かな学力(知)」と「豊かな人間性(徳)」と「健康・体力(体)」、この3つを教育の柱として位置づけました。この大目標を基本路線として、学習指導要領は少しずつ変わりながら現在に至ります。
 
 ここで大事な点をひとつ述べておきますが、それは、これら3つの要素は各々が独立したものではなく、互いに融合しあいながら、一人の人間を作り上げていくということです。右図のようなイメージです(文科省公式サイトより抜粋)
 
 私たちは「学力」や「スポーツ」といった、はっきりと結果がわかる類のものばかりに目が行きがちですが、実はそこにはもうひとつ、「人間性」という得体のしれない無限大のチカラがあることに目を向けなければなりません。そして、その基盤となるものが「家族」であり、その子どもを取り巻く「環境」ということになるでしょう。加えて言うなれば、これらは、卵が先か、鶏が先か・・、のようなことを論じても意味がなく、全てがその都度結びつきながら、一人の人間を形成していくものだと言えます。
 
 それを踏まえたうえで、私たち塾の仕事としましては「確かな学力を結果で示す」ということに他なりません。「学力の定義」に少しずつ変化が見られる中、それに応じる形で入試も変化しています。今の子どもたちが大人になった頃には、おそらく求められるチカラも変わっていることでしょう。そのあたりを視野に入れつつ、未来のフィールドを広げてあげるような取り組みを従来の指導と並行して進めていきたいと考えています。

# by chikushin-column | 2018-10-27 11:19

毎月お渡ししている塾生保護者様への塾報「ちくしん通信」から、教育コラム欄の文章を抜粋したものです。ご一読ください。(文責;塾長 今井章介)


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