「生きる力」という言葉が文科省で使われ始めたのは、もうかれこれ20年程前のことです。そして、21世紀を切り拓くため、「確かな学力(知)」と「豊かな人間性(徳)」と「健康・体力(体)」、この3つを教育の柱として位置づけました。この大目標を基本路線として、学習指導要領は少しずつ変わりながら現在に至ります。
 
 ここで大事な点をひとつ述べておきますが、それは、これら3つの要素は各々が独立したものではなく、互いに融合しあいながら、一人の人間を作り上げていくということです。右図のようなイメージです(文科省公式サイトより抜粋)
 
 私たちは「学力」や「スポーツ」といった、はっきりと結果がわかる類のものばかりに目が行きがちですが、実はそこにはもうひとつ、「人間性」という得体のしれない無限大のチカラがあることに目を向けなければなりません。そして、その基盤となるものが「家族」であり、その子どもを取り巻く「環境」ということになるでしょう。加えて言うなれば、これらは、卵が先か、鶏が先か・・、のようなことを論じても意味がなく、全てがその都度結びつきながら、一人の人間を形成していくものだと言えます。
 
 それを踏まえたうえで、私たち塾の仕事としましては「確かな学力を結果で示す」ということに他なりません。「学力の定義」に少しずつ変化が見られる中、それに応じる形で入試も変化しています。今の子どもたちが大人になった頃には、おそらく求められるチカラも変わっていることでしょう。そのあたりを視野に入れつつ、未来のフィールドを広げてあげるような取り組みを従来の指導と並行して進めていきたいと考えています。

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# by chikushin-column | 2018-10-27 11:19


 夏の塾の授業は、どの学年も「復習」による「基本」の完全習得が狙いです。基本問題を確実に解ける状態へ押し上げていくことが、長期的な成績安定につながるからです。

 さて、学習内容を「基礎・基本・応用」と三段階に分けたとき、基本をマスターするためには、まず、その前段階の「基礎(見えない部分)」を整える必要があります。中学生の場合、この基礎部分とは「小学校内容」にあたります。中学生の伸び悩みの原因は、小学校高学年での躓きだと言ってもいいでしょう。特に小5あたりがポイントですので、小学生の保護者様はテストの答案や普段の家庭学習プリントの出来具合を見てあげてください。

 そして、もうひとつ。成績向上に欠かせない大事な考え方があります。それは平易な基本問題レベルばかりを反復練習しても、基本を習得したことにならないということ、つまり、基本を完璧にするために、基本問題ばかりを繰り返し解くだけでは、それを使いこなすレベルにはいつまで経っても到達できないのです。汎用性の高いチカラに昇華させるには、やはり応用問題に当たりながら「基本」の活用法を学ぶことが必要。応用問題は基本事項が複数重なり合っているだけですから、臆することなく、応用問題にも取り組んでほしいと思います。基本を固めるうえでそれが効率的かつ効果的です。



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# by chikushin-column | 2018-08-25 13:31

 一般に、暗記教科の代表格として真っ先に挙げられるのが私の担当教科である社会科」なのですが、実は、その社会科の入試問題がガラッと様変わりしてきています。

 ここ数年、福岡県の公立高校入試においても、社会科の平均点は低い状態が続いています。これは丸暗記学習の限界を示しており、また、社会科の総合力・思考力を見る問題というのは、標準的な中3生にとってかなり難度の高い要求であることの証とも言えます。特に、地理分野や公民分野は、今の世の中の動きを反映した問題(時事問題)が出題されますし、新傾向を含む練り込まれた良問が並んでいますので、なかなかタフな戦いです。社会科は、もはや「準備力」だけでなく「その場力」も試される教科に変身しています。

 そして、この傾向は、なにも高校入試に限ったことではなく、中学入試においても色濃くなってきています。過去問を解くだけでは、傾向と対策にならない…今後はさらにそうなっていくに違いありません。

 さて、この入試の「質」の変化が「追い風」になる子もいれば、逆に「向かい風」になる子も出てきます。私、個人的には、社会科という教科ぐらいは「努力値がそのまま点数に直結するテストであってもいいんじゃないか」と思っていますが、しかし、暗記中心の学習から脱却することで、学びを深め、知識を活かすことに繋がるならば、今の方向性は素晴らしいことだと思います。勉強の面白さを知り、自ら学びを深めていく、この理想にどこまで近づいていけるでしょうか。二〇二〇年の教育改革に向けて、入試制度面ばかりが脚光を浴びてますが、テスト問題そのものの改革にも注目です。




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# by chikushin-column | 2018-03-09 20:45
 

 知的な世界に関心を持ち、多くの言葉に出会うことは人生に彩りを与えてくれます。読書はその最たるものと言ってもいいでしょう。

 巷ではよく、「読書と学力の関連性」が取り上げられます。たしかに「読書量=特に国語の成績」という面では、一定の相関性がありますが、ただ一つ述べておきたいのは、だからといって、本好きの人は成績向上のために読書をしているわけではありません。一人で読書する時間が心地良いからであって、何か別の目的のためではない。そのこと、そのものが好きなのです。

 塾現場で子供たちを見ていると、読書のもたらす効果は、案外、直接点数に出ない部分なのではないかと思います。この「直接点数に出ない部分」というのは、軽く扱われがちですが、実は、学力全般を構成する「土台」とも言える大きな要素になっていきます。自然のうちに得られる語彙の感覚、論理力や想像力、一人で自問自答するチカラ等、学習に必要な何種類もの要素の複合体が読書なのです。教科書をベースにした机上の教科学習や系統だった学習は当然必要なのですが、それが全てではなく、その余白部分や行間にも面白いことが潜んでるんだよ、読書はそんなことをさりげなく教えてくれます。

 単なる知識をわかりやすいカタチに組み立てたとき、それは教養となります。その素地はやはり十代のうちに出来上がるでしょう。仲間と群れて遊ぶのもいいですが、一人の時間を一人で有意義に使うことも、人生を楽しんで歩んでいくうえで必要な資質のように思います。

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# by chikushin-column | 2017-12-20 23:49


親子の関係は生涯続くものですが、「子育て」という観点からすれば、その期間は案外短いものです。子どもは成長とともに(特に進学を機に)活動範囲を広げ、自立への道を歩みますが、その分、次第に、親子の時間は少なくなります。また、思春期特有の反抗期もありますから、冷静に話ができない… そういったお母様方の声も聞こえてきます。 

我が家には一人っ子の娘がいるのですが、つい先日、私は娘を厳しく叱りました。心の内では葛藤はありました。しかし、「ときには、我が子の前に立ちはだかる壁にならねば」という、親としての想いが上回りました。おそらく娘にとって、人生最大の恐怖だったでしょうね、私も本気でしたから。娘は大粒の涙をポロポロと落とし、それでも視線を外さず、最後まで私の目を見て聞いていました。 

さて、よく「子は親の鏡」とか、「親の背中を見て子は育つ」とか言いますが、今のように情報が氾濫する時代において、また、家族形態が昔とは変わってしまった現代社会においては、親は我が子に対して、世の中に対する見方、信条、価値観といった自己形成の根幹となるものをもっと伝えた方がいいのではないか、私はそう感じています。それができる人間関係は家族しかない、と。 子どもは大人の考えの尺度を知りたがります。一般論ではなく、本音を知りたい。例えば、受験校選びに関しても、最終的に「子どもに任せる」というスタンスはいいと思いますが、全く親がノータッチ(放任)で、条件も意向も示さないというのはどうなのでしょうか。こういうときこそ、「これから先、どんな人生を歩んでほしいと願っているのか」をしっかりと伝え、家族で話を深めておくことが必要なのではないかと思います。心の奥底からこみ上げてきた親の言葉は、きっと我が子の生きる指標となっていくはずです。





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# by chikushin-column | 2017-10-14 10:51

4技能 #171号(2017年9月)



近年、教育界では「英語4技能の習得」というフレーズが、アクティブラーニングと並んで大きな話題になっています。ご存知の方も多いかと思いますが、「読む・聞く・書く・話す」の4つの能力のことです。この英語能力は大学受験を視野に入れた際、非常に重要になりますし、英検やTOEICの点数が入試において点数に換算される等、急速に広まってきています。

ただ、その一方で、塾現場で小中学生を指導していると、「国語(=日本語)4技能」が心配になる場面に出くわすことが非常に多いのが現状です。4技能というのは、「読む・聞く」のどちらかと言えば受動的な2技能と、「書く・話す」の能動的な2技能に分けられますが、私の印象では、前者(読む・聞く)が疎かになってきている気がしています。 

前述の内容とは少々逆説的にはなりますが、読んだり聞いたりという行為は、ある意味、とても主体的な側面を含んでいます。それらは一見受身のように見えて、実は、自分の感情を他者にすり合わせていく思考作業ですから、一定のストレスは付き物。好き勝手は許されませんし、思い通りにもなりません。特に、読むチカラ(独力で日本語を読み解くチカラ)が全てのベースです。これを養っておかなければ、近い将来、自学勉強の負荷に耐えられなくなり、伸び悩みの原因となります。 

読むチカラには、①丁寧な音読と②スピードを上げた黙読(速読)の両方が必要になりますが、ご家庭でそれを測る方法としては、「初見の文章を上手に音読できるか否か」、これが一番わかりやすいかと思います。また、そのためには語彙力や漢字能力の向上は不可欠ですので、検定等を利用して、ひとつ上の学年ぐらいまで取得していくことをオススメしています。




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# by chikushin-column | 2017-09-13 23:49


塾生たちの話を聞いていると、どうやら「(自分は)基礎は大丈夫だ」と思っている節があります。「基礎」とは、教科知識や解法のベースとなる土台部分、それは間違いではないのですが、しかし、それだけではありません。

今回のコラムは、基礎・基本・応用と3つに分けたうち、基礎に焦点を当てたいと思います。 まず、前提として、基礎は見えにくいものだということです。例えば、家屋等の建設工事を想定してもらえればイメージしやすいかと思います。 

では、学習面における基礎とはどういったチカラのことかと言えば、やはり、「読み書き計算を独力で正しくできること」になるでしょう。この部分を小学生時代に習得しておけば、処理能力がグンと上がるため、時間に追われる中学・高校時代も乗り切りやすくなります。基礎力は科目横断的なチカラですから、当然、実力テストの成績も安定してきます。 

そして、もう一言。これはあくまで私見ですが、実は、基礎こそ奥深くて面白いのです。汎用性があり、お得な知恵や情報がたくさんあります。学習の楽しさは、知識を結び付けて正しく組み上げ、その先に見え隠れする何かを、想像力を働かせて一般化したり法則性を探ったりすることにあります。こういった態度も、学習に必要な基礎的な資質であり、それは日常における思考の「習慣」から作られていきます。習慣は無意識の意識、大事な土台です。



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# by chikushin-column | 2017-09-07 14:05


「目的のためなら手段を選ばない」という意見があります。例えば、目的が「勝つ」という一点ならば、そのためにどんな手段でも使うということです。これは卑怯だと思われる方もおられるでしょうし、勝てるところで勝負して何が悪いとおっしゃる方もおられるはずです。しかし、一つ言えることは、何事も「結果が全てだ」という目的至上主義で突き進めば、それは失敗の許されない窮屈な世界になり、その延長線上には、無難な安全地帯にいることを良しとする個人と小集団ができてしまうのではないか…、私はそれを危惧しています。

今、受験シーズンの真っ最中ですが、入試を進学のための手段として捉えれば、「受かればいい」という解釈になるのでしょう。ただ、私はその考え方に賛同できません。入試そのものに、そして、そこまでの受験勉強の中に大きな意味が含まれていると考えているからです。つまり、手段と目的は別モノではなく、両者は一体であるのではないかと。もう少し丁寧に言えば、長い目で見たときに、「手段の中にこそ、とても大事な目的が含まれている」と言えるのではないか、これが長年この仕事を通して子どもたちと向き合ってきた率直な感想です。



さて、最後に、教室の様子のご報告です。この時期はどうしても受験生に目がいきがちですが、実は、次学年のクラスがとてもヤル気で雰囲気がいいのです。急に芽が出始めた印象ですが、私が気づかなかっただけでジワジワきてたのかもしれません。先輩たちの姿や結果を見て「次は私たちの出番!」と前向きに取り組んでいます。
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# by chikushin-column | 2017-02-28 16:00

【今月はお子様(中学生)に読んでもらうために書きました】  



「具体的な知識や事柄を一般化し、再び、具体的な問いへと転換する」これは勉強していくうえで重要な思考過程です。少しコトバが難しいかもしれませんので噛み砕いて説明していきます。 

例えば社会科のように、巷では暗記科目の代表格とされている教科でさえ、高得点を取るにはこれが必要です。知識がバラバラで使いこなせないのは、関連づけや意味づけがされていないからに他なりません。全く同じ問題ばかりなら暗記作業でいいのでしょうが、この方法では忘れてしまったときにお手上げ状態。これではさすがにリスクが高すぎます。では、どうすればいいのでしょうか。 

まずは、いろんな方法で具体的な知識を集めることではないかと思います。聞いたり、読んだり、書いたり、調べたり、声に出したりして情報をインプットすることから始めましょう。と同時に、それを試してみる、問題を解いてみる、こういう初期段階の取り組みが、実は「具体的なモノ」を拾い集めるということです。そして、それを続けていると次の段階、つまり「一般化(抽象・概念)」のステージに辿り着きます。思考の「よりどころ」となるベース基地みたいなものですね。理科では実験の後に「考察」がありますが、それと似ています。具体から抽象へ、そしてまた具体へという回路ができてしまえば、あとは楽です。テストの点数も高いところで安定してきます。 

このように、知識の集合体を概念のようなものに押し上げることができたら、一気に視野が開けた感覚を覚えるでしょう。勉強にも自信が出てくるはずです。ですから、今年一年、これを大事にしてください。答えよりも、途中段階の思考の方が長期的には大切なのです。「ひらめき」や「センス」なんかなくても大丈夫。正しい心構えで丁寧に学んでいけば、キミの脳はさらに進化していきます。今年も「笑顔でガンバレ」で取り組みましょう。


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# by chikushin-column | 2017-02-28 15:50


【アクティブラーニング】 教員からの一方向的な講義で知識を覚えるのではなく、生徒たちが主体的に参加、仲間と深く考えながら課題を解決する力を養うのが目的。そうした力を養う授業手法として、グループワークやディスカッション、体験学習、調査学習なども有効とされる。



2020年教育改革に向けて、巷では、このアクティブラーニングという「言葉」だけが先行しているようです。マスコミ、特に新聞が煽っているように見受けますが、正直、力みすぎの感が否めません。勇み足にならなければよいのですが。

大改革の目的は、子どもたちの主体的・能動的な学習を推し進め、従来のペーパーテスト中心の評価システムから脱却すること。そのために、授業では双方向のやりとりやグループ学習を取り入れ、授業自体のあり方を変えていく、そういった手法の総称がアクティブラーニングです。しかしながら、これらの学習手法は目新しいものでも何でもなく、大学では、例えば研究発表やゼミの場では、ごく普通のことですし、小中学校でも以前からさかんでした。むしろ、初等教育では、そういった「学び合い」の授業が多いために、基礎・基本を定着させるための授業時間が不足しているとも言えるくらいです。

さて、このように現状を捉え直すと、小中高大と続く学校教育において、「高校」での授業スタイルや評価システムだけが旧態依然としたままだという指摘があり、そこに改革のメスを入れるためには、どうしても大学入試とセットで検討する必要が出てきた、とそういう経緯のようです。近い将来、センター試験の廃止も含め、大学入試のあり方自体が大きく変わりそうですが、これは従来の学力観(主として正確な知識とその量を問う)だけではない新タイプの学力観、すなわち「課題解決能力」や「対人能力」なども評価の対象としていく、そういう時代の到来を予感させます。現実的な問題として、そういった能力を公正に点数化できるのかという懸案事項は残りますが、今や東京大学でも推薦入試を導入する時代、グローバル社会では「多様性」が一つのテーマになりますから、今後、入試の選抜制度もさらに多様化していくことになりそうです。
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# by chikushin-column | 2016-12-12 13:35

毎月お渡ししている塾生保護者様への塾報(ちくしん通信)から、「塾長コラム」欄を抜粋したものです。どうぞ、ご一読ください。(文責 今井)


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