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ここでは、「何か一つのことに夢中で取り組み続けられるチカラ」のことを「夢中力」という言葉で仮に置いておくことにします。

夢中とは「夢の中」と書きますから、「夢にまで出てくるほど頭から離れない」という状態でしょうか。ですから、もちろん起きている間は、ちょっとした隙間時間でも、ふっとそれが浮かび上がってきます。集中とは少しニュアンスが異なり、対象が目の前になくても、放っておいても常に心の中に存在する、そういった状態が夢中です。この「夢中力」が備わっているかどうか、幼少期から発達段階に応じて、本気で一つのことにハマって取り組んだ経験があるかどうか、近頃、これがとても大切で必要なことなのではないかと感じています。集中はできても夢中になれない、とでも言いましょうか、継続すれば一段階アップできるのに、あっさり諦めたり止めてしまったりといった印象を受けます。

特に中学生の勉強でいえば、ある意味、「テストのために勉強する」という目的意識が強すぎるあまり、テストがゴール、テストが終わると何もしない・・という無意識に近いマイナス習慣によって、多くの子どもたちが「継続」を途絶えさせてしまいます。日曜は休みなので勉強しないというのも同じです。そこで大きな差が生じています。本来、学習とは学習能力向上のためにあり、あくまでテストは客観的な指標を得るツールにすぎません。点数や結果よりも、自分の「実感」を大切にしたいという気持ちがあれば、自分との戦いは続きます。継続する、夢中になれる、そのカギはこのあたりにありそうです。そして、「受験勉強」と「入試」は、この尊さをトコトン教えてくれる大きな機会です。

夢中力 #257号(2024年11月)_d0347964_15394647.jpg
(筑陽学園中教室にて中学入試模試を開催 2024年11月2日)


# by chikushin-column | 2024-11-13 15:42

現学年の折り返し地点を迎えています。学年の後半は教科書も難易度の高い単元、時間を要する内容が多くなります。日頃からの勉強への向き合いかたが結果を大きく左右しますので腰を据えて取り組んでいきましょう。

さて、今回のコラムは「対策」という言葉に潜む危うさについて、少しお話をさせてください。

学習に限らず、対策とはリスクを減らすための限定的な手段という意味合いですが、やや近視眼的な響きを持つ言葉です。対策は万能ではありません。対策はあくまで応急措置の範疇を出ませんし、その上澄みをすくうような対策が効果を発揮するには、大部分を占める本体、言い換えれば実力が整っていることが条件になります。実力とは身にしみついている能力ですから一朝一夕にというわけにはいきません。対策は目的ではなく、あくまでも手段の一つですし、また、過去の事例にはない予期せぬことが起こったとき、とても脆いものであることも想定しておく必要があります。

近年、コスパやタイパといった効率性や即効性に飛びつく風潮が強くなっていますが、こと学力に関しては、特効薬のようなものはなく、短期的表面的な対策をつぎはぎするだけでは肝心の実力がともなっていきません。範囲が限定的な場合はそれでもいいのですが、入試や模試では太刀打ちできないのです。受験生が志望校対策として「過去問」に取り組むことも出題パターンを知るうえで必要ですが、過去問ばかりを何年分解いても得点率がアップしないのならばそれはどんな問題にも対応できる基礎基本が身についていないことが要因です。一点一問を争うことになる直前期は、対策が功を奏すこともありますが、秋の始まりにあたる今の時期は基本内容の穴をなくすほうが先決です。


「対策」の功罪 #256号(2024年10月)_d0347964_18300467.jpg
夏受験生合宿(中3小6)2024年8月12日撮影 宗像グローバルアリーナ


# by chikushin-column | 2024-10-12 18:31

「親子関係」という普遍的かつ絶対の正解のないテーマについて、私たちは、時に迷ったり悩んだりしながら日々を過ごしています。断片的に情報を仕入れたり、専門家の力添えを受けたり、はたまた野生動物の一生やファミリードラマ等のテレビ番組に共感したり、ときには自分の親の言動を思い出したり、といった具合に、とにかく「何かヒントはないか」と模索するわけです。それこそ「教科書があれば」と思うときもあるでしょう。とにかく親としては、これは一種の本能に近いものだと思いますが、自身のことよりも、我が子の成長と自立を願わずにはいられません。しかしながら、やはり「子育て」には、家族であるが故の難しさがあり、おそらくそれは宿命とでも言いましょうか、一生続いていく人間関係だからこそ生じる問題なのだと思います、ですから、長期的な視点で、「今」を見てあげることが必要になるでしょうし、万が一、お子様が手軽に届く範囲のメリットを盲目的に探すあまり、将来の糧となる大切な何かを置き去りにしているとしたら・・、こういった見方も親として心の片隅に置いておきたいところです。

小学校高学年になれば、自我が芽生え、行動範囲も広がりますので、家族以外の人の影響を受けつつ、「個」を形づくっていきます。したがって、幼少期のように親の思うようにはいかないのは、ある意味、成長の証とも言えます。そして、そういう時期こそ、次のステージへ向けて、親子の関係性を再構築するタイミングであるとも言えましょう。信じていることがきちんと伝われば、子どもはその気持ちに応えていきます。受験学年のご家庭は、秋になる前に、受験校選びや入試についてどのように考えておられるか等、一度きちんとお子様と話をしておかれたほうがいいでしょう。それを踏まえて、お子様は自分で進路を決めていくはずです。

親として、大人として、何を伝えるか  #255号(2024年9月)_d0347964_14401079.jpg
小学生 夏の校外学習イベント 佐賀県立宇宙科学館にて撮影 2024年7月26日

# by chikushin-column | 2024-09-12 14:43

「自由に使える時間」の行動にその人の気持ちは表れます。自由時間といえば、なんとなく休日のイメージがあるかもしれませんが、たとえば、移動時間等の隙間時間も特に制約がないという点では自由ですし、むしろ、そういう限られた自由時間にこそ、自分の今の姿が映し出されると言ってもいいかもしれません。人は本来、自分にとって大切なことを自分の心身から完全に消し去ったり、時間によって切り分けたりできるほど器用ではないのでしょう。人は機械ではありませんから、時間によってオンとオフを完全に区別するほうが難しいし、気になることは、ちょっとした空白の時間にさえ、ふっと脳裏に浮かんでくる、いつも心のどこかに引っかかっている、それが人間らしさとも言えるわけです。

巷でよく聞く話ではありますが、何か情報を知ったり、思いついたりしても、そこから行動に移す人は全体の約20%、その行動を継続できる人はわずか5%だそうです。それだけ思ったことを行動に移し、そして継続することはハードルが高いというわけです。できない理由を見つけ、三日坊主に終わった自分を正当化してしまうのは誰しも一度や二度は経験がありますよね、ですから逆に言えば、行動し続けるだけで相対的に有利に立てる、チャンスが廻ってくる、そのように捉えることもできるかと思います。

少し話は逸れますが、かの有名な『徒然草』、その第一五〇段に(以下、ざっくり解釈です)、「芸事を身につけるには秘かに練習して上達してから披露したいと思ってる人もいるが、そう言っている人がプロ級になった例はひとつもない。未熟で下手な頃から、ベテランに混ざり、バカにされても笑われても恥ずかしがらず、立ち止まらず、道を踏み外すことなく年輪を重ねれば、最終的に達人の域に入れるし、さらには人望も備わり、名声も得られるようになる。」とあります。昔も今も変わらず、これが普遍的な真理なのではないでしょうか。つまり、継続した行動こそが最強です。


先輩との対談(中3夏前激励会)
時間と行動 #253号(2024年7月)_d0347964_19594153.jpg

# by chikushin-column | 2024-07-26 20:01

「自立した大人になってほしい」、親(大人)が子どもにそう願うのは至極当然のことです。全くもって疑う余地のない、子育ての大前提かつ大命題とでも言いましょうか、これぞまさしく「親心」ですから、親としては、自分のこと以上に、子どもの状況が気になるわけです。ただ、その責任感が行き過ぎると、我が子のことは100%どんなことでも知っておきたい、管理しなければ、という「過干渉」となり、それが常態化すると、ある日突然、子どもが猛烈に反発したり(特に思春期)、また逆に、そうしてもらうのが「あたりまえ」になり、我が子の成長と自立の阻害要因になったりする恐れもあります。このあたりの匙加減が子育てと子離れの難しさですね。各々のご家庭でタイミングやこれまでの経緯も異なるでしょうから絶対の正解はありませんし、明確なゴールもありません。お互いに微調整しつつ歩み寄る意識、家族・親子といえども、良好な関係性を維持するにはそういった意識は少なからず必要なのではないでしょうか。

チャレンジに失敗はつきものです。むしろ、その結果から学ぶことで成長していくと言ってもいいでしょう。結果をどう受けとめ、自分を客観的に判断し、そして次にどう活かすか。年齢に関係なく、このように考えることができれば、未来に希望をもって人生を楽しんでいけるのではないか、学生時代のその積み重ねが「自立」へとつながっていくのではないか、私はそんなふうに思っています。そのためにも、子どもたちには、一生懸命になったときの自分自身を感じてほしいし、守備範囲を無難に小さくまとめようとせず、一歩でも踏み出して新しい景色を見てもらいたい。ですから当塾の方針として、教科学習と人間力向上を両輪とし、どちらも鍛えることを大切にしています。

大人にとっては「些細なこと・小さなこと」であっても、子どもにとっては、もっと言えば、その子にとっては「初めてのこと」であったり、「大きな冒険」であったりすることがあります。失敗したり、恥をかいたりといったことも起こるかもしれませんが、その瞬間が自立心の芽生えであり、シグナルです。親御さんが先回りして、我が子の小さな勇気を奪わないよう心に留めておかれてください。また、ご家庭ではお子様の結果よりも、チャレンジしたことを認めてあげてください。子どもは、親を、そして大人を驚かせたいと思ってます。自分だけの秘かな自信、宝物です。(私自身、そうだった気がします)案外、そういったところに「変身のきっかけ」があります。






# by chikushin-column | 2024-06-17 15:04

毎月お渡ししている塾生保護者様への塾報「ちくしん通信」から教育コラム欄を抜粋したものです。ご一読ください。(塾長)


by chikushin-column