「わかりません」の真意 #144号(2015年6月)


学びの過程においては、必ず知らない言葉や初めての考え方に出会います。それを避けては通れません。「勉強すればするほど、新しいものにぶつかる」、これが勉強の本質ですし、また逆に言えば、人は学ぶことで人間本来の欲求である知的好奇心を満たしているとも言えます。

さて、私は授業中、よく生徒に質問を投げかけますが、それに対して、「わかりません」という返事が戻ってきたとき、その「わかりません」の真意を確かめることがあります。

「わからない」や「ビミョー」という言葉で全てを片付けてしまい、それを危機から脱出するための万能薬のように使っていると、自分が知っている言葉や知識を使うチャンスをどんどん失ってしまいます。つまり、「わかりません」という一言が、案外、本人が思っている以上に、成長を阻む要素になっている気がしてなりません。(特に記述力が弱い子は、こういった状況で自分の考えを説明せずに、一言で片付けてしまう傾向あり)

また、「わかりません」という言葉の裏には、人それぞれに違いがあります。

半分ぐらいはわかっているのに「わかりません」と一言で片づけてしまう場合もありますし、説明する言葉が見つからないために、面倒臭くなって、そう言う場合もあるでしょう。「わかりません」という声を聞いたからといって、100%全部わかってないわけではなく、「わからない」にも段階があることを知っておくべきだと感じます。(これは小学生のお子さんに対して、親御さんが教えられるようなケースでも同じです)

子どもの「わからない」発言をそのまま鵜呑みにするのではなく(子どもは親に対してそういうふうに言いがちですから)、思っていることやわかっているところを引き出してあげることで、突破口が見えてきます。家庭学習の際のご参考にされてください。
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by chikushin-column | 2015-11-05 16:52

毎月お渡ししている塾生保護者様への塾報(ちくしん通信)から、「塾長コラム」欄を抜粋したものです。どうぞ、ご一読ください。(文責 今井)


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